<白木屋傳兵衛>中村梅吉さんの「いい話」【第8回:通訳とアメリカの物資】
厚木にマッカーサー元帥が着陸したのとほとんど同時に、横浜に米軍が上陸して来た。そして数日後、米兵が銀座へ現れた。ライフル、カービン銃、拳銃で武装して散歩していた。武装は1週間くらいでなくなった。
そして、半年くらいたつと、ウチの町内に米兵が来ると、私のところに通訳の依頼が来るようになった。私のほかに2人ばかり、私以上に英語のできる人もみつかった。
やがて私は接収された味の素ビル(continental hotel)に泊まっていた米東部出身の一人の軍属と交流するようになった。なにしろ奴は「物」を持っているから強い。もらった「食パン」の「白さ」に腰が抜けた
そんなこともあっていろいろなアメリカ文化に触れたが、ともかく驚いたのは見たことがないものばかりだということ。筆頭はscotch tape(セロテープ)。その便利さには目もくらむ思いだった。
闇屋を始めた叔父の手伝いでアメリカ軍の軍用缶詰めの説明用の和訳も手掛けたが、コーンビーフなどは現物を見るまで理解できなかった。
また、バンドエイドは金属缶に入っていて、開けた缶の端が危なくないようにちゃんと折れ曲げてあるのを眺めて、我々はエライ奴と戦ったんだなあと感慨にふけったものである。
翌年の夏には、その米軍の軍属と一緒に方々の「盆踊り」をハシゴした。彼が盆踊りでもらった賞品の浴衣を母が縫い、対価としてもらったのが浴用と洗濯用の固形石鹸。当時、国内では粘土かと思われるような石鹸しかなく、親父はアメリカ製の泡立ちのよい石鹸を持って銭湯へ行くのが自慢だった。