たしか、昭和40年代だったか、東京駅の大丸さんで「東都のれん会」の加盟店を主体にした「江戸老舗即売会」をやっていた頃の話である。
私は大丸関係者の年次供養祭に招かれ、バスの車内で「江戸話」をするよう依頼を受けた。大丸が寛保3年(1736)から明治29年(1896)まで暖簾をあげていた江戸店の跡をバスで訪ねるのだという。大丸さんの江戸店の跡は、現在の中央区日本橋大伝馬町の一角。無事、大丸東京店のルーツを見届け、一行は昼食をとるため、ご近所の「魚十」さんへ。
「どうして、この店を選ばれたんですか?」。
大丸さんに気軽に尋ねて、返ってきたのが、以下の驚くべき“いい話”である。
江戸時代の呉服店は、「座売り」といって履物を脱いで畳にすわり、手代さんに見たい着物の種類をあれこれ告げて、ゆっくりと品選びをするシステムだ。そして、一定以上のお買い物をなさったお客様には、昼どきになると「お昼」が出た。大丸のような大きな呉服店には、出入りの仕出し屋があったのです。
さて、江戸時代には大いに繁盛した大丸さんだが、文明開化とともに次第に需要が落ち、経営合理化のため明治29年に江戸店を撤退することとなった。引っ越しは今も昔も大変な作業だが、これだけの大店になると引っ越し荷物も膨大。その結果、なんと神棚を運び忘れてしまわれた。
それから幾星霜。昭和29年(1954年)、大丸は新装なった東京駅のすぐ横に華々しく東京店を開店された。明治時代に撤退して58年ぶりのことだ。
その開店当日、東京店店長を尋ねて来たかたがおいでになった。魚十のご主人です。そして、こうおっしゃったそうだ。「お預かりしていた神棚を、お返しに上がりました」。
なんと、明治29年の引っ越しのときに置き去りにされてしまった神棚を、その当時、仕出し屋として出入りされていた魚十さんが、半世紀を越え、世代を越えて大事に守ってこられたのである。店長さんはへたへたと座り込むほど驚き、喜ばれたのだとか。もちろん、この日まで、大丸さん自体もご存知なかった話である。
魚十さんは、現在も大伝馬町で盛業しておられます。
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