<白木屋傳兵衛>中村梅吉さんの「いい話」【第3回:榮太樓さんの石】
「榮太樓さんの石」といっても、何のことやら解らない、と言われそうだ。日本橋の南詰め、榮太樓總本鋪の本店の入口、向かって左側に置いてある赤い石(幅約1m、高さ約70cm)のことだ。
正直、言われなくては気がつかないような存在なのだが、お話をうかがうと、その曰く因縁、故事来歴たるや大変なしろものだ。
それまでのいきさつは略させていただくが、榮太樓さんのご先祖さんが、いたくこの赤石を気に入られ、手に入れたいとお思いになった。いろいろな交渉があった結果、石の持ち主が、「この地所と一緒でなければ売らない」と言われたところ、「それならば、土地も一緒に買いましょう」と答え、なんと、石を買うために、この地所をお買いになったのだという。こんなスゴイ理由で地所を買った人を、私はほかに知らない。話は変わるが、江戸時代は、地所を持っていないと町人とは認められなかった。したがって、長屋住まいの八っあん、熊さんは町人ではない。地所とは、それほどまでに「信用」の塊だったのだ。ちなみに江戸期以降、明治、大正、昭和と、お上への入札取引資格に「地租税(固定資産税)納入者」という1項があったことは意外と知られていない。それだけの値打ちのある地所(信用)……なのに、榮太樓のご先祖様は「赤石」の方が大事だったらしい。
今、榮太樓さんにうかがうと、入口を入ってすぐ右にガラス張りになったミニギャラリーがあり、季節に合った軸(掛け物)、花(花活け)、そして抹茶茶碗やら茶杓が飾ってある。小さいが、名物ひしめく「床の間」だ。赤石のために地所をお買いになったご先祖様も「趣味人」なら、現会長さんもなかなかの「趣味人」だということをおわかりいただけよう。
会長さんにうかがうと、お飾りになる「お道具」はその日の気分でお決めになるという。逆に言えば、その日の気分で決められるほどのお道具をお持ちだということだ。
老舗のご当主は、経営的手腕もさることながら、このようなご趣味もお持ちだということである。
中村梅吉(なかむら うめきち)  
白木屋中村伝兵衛商店6代目店主。昭和4年(1929)、東京市京橋区宝町3-4(現:中央区京橋3-9-8)に白木屋箒店(現、白木屋中村伝兵衛商店)の長男として生まれる。
区立京橋国民学校(小学校)、東京府立第3中学(現両国高校)を経て、東京外事専門学校(現東京外語大)の蒙古科に入学。蒙古語、中国語、ロシヤ語を習得。昭和37年(1962)から平成15年(2003)まで、6代目店主として家業に勤しむ。
昭和55年(1980)から中央区歴史講座で川崎房五郎氏に師事し、江戸学を開始。隠居後、中央区の文化サポーターや江戸東京博物館ボランティアとして、年間30回以上、講演や街歩きの案内を務めた。また、東京大空襲の被災者としての証言など、様々な形で江戸—東京の歴史を伝える活動にも関わり続けた。2020年逝去。

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