当展覧会の催行主でございます。個人的に蒐集している日本橋の古い絵葉書をみなさまにご覧いただきたく、この会の開催と相成りました。今では考えられない珍しい風景ばかりのお宝絵葉書を厳選しております。しばし、絵葉書の中の古きよき日本橋の風景に浸ってください。お代は、東都のれん会加盟店でのお買い物で。
日本橋の絵葉書の風景にはいくつか種類がございますが、とりわけ多いのが現在の日本橋が開橋したときのものです。
明治44年(1911年)4月3日、現在の石橋の日本橋が架橋されました。もちろん、まだあの忌まわしき高速道路はございません。
手前に見える橋は、日本橋が工事中、路面電車が迂回して通った仮設の橋です。見えにくいのですが、日本橋の向こう側にもう一つ仮設の橋があり、そちらは歩行者用でした。
左側には「仁丹」の看板が見えます。当時の按針町の辺りです。この「仁丹」の看板にも時代別のバリエーションがございますが、それはまた別の機会に。
少し時間を巻き戻しましょう。こちらは工事中の風景です。「麒麟」も「獅子」もまだいません。モノクロですが、架橋時の日本橋がいかに色白美人だったかがわかります。
工事の方もラストスパートといった感じ。「麒麟」と「獅子」はすでに設置済みですが、「獅子」の下にある「日本橋」の文字はまだ取り付けられておりません。
開橋間近と思われます。手前の人物はまさか身投げを? いえいえ、多分、工事関係者が最終チェックでもしているところなのでしょう。感慨にふけっているのかもしれません。まさかこれから100年以上経って、こんなところでネタにされるとは思ってもみなかったでしょうが。日本橋は今日も元気ですよ。
開通式のために、電飾が施されました。花のようなデザインは、東京市のマークです。「獅子」が持っているのもこのマークでございます。準備が整い、いよいよ開橋の日を迎えます。
橋の上での開通式。当時のプログラムを見ると、やはりダラダラ長かった模様です。
開通式では、「渡り初め」という儀式が行われました。これは、日本橋で三世代の夫婦が健在の家庭が選ばれ、最初に橋を渡るというものです。明治の時代です。三世代が元気で揃っているのは珍しかったものと思われます。その縁起の良さにあやかってか、実際にその後この橋は100年以上ピンピンしています。
ちなみに、渡り初めの栄誉を担ったのは、「木村さんご一家」です。
こうして、絵葉書にもなりました。
一般通行が解禁されると、ご覧のような状況になりました。開通式の日が雨で、関係者はがっくりしたと思いますが、そのおかげでこのような傘だらけの風景を楽しませていただけます。番傘が混じっていますが、明治末期には圧倒的にこうもり傘が主流になっています。
こちらは誰も傘をさしていないので、開通式の翌日以降の様子かと思われます。
通行人一人ひとりに注目すると、半纏を着た少年、学生、川を眺めている親子などいろいろな人がいます。この一大イベントを皆、どんな気持ちで体験しているのだろうか、などと思いを馳せるのも絵葉書の醍醐味でございます。
橋のたもとにはこんなオブジェも。当時、日本橋のたもとにあった魚河岸が寄贈した「積樽」です。祝いの印として酒樽を積んだのです。人間と比べると、そのスケールのでかさがわかります。 |
最後の一枚は、ライトアップされた日本橋です。
東京市のマークがくっきりと光ります。左上でぼんやり光っているのは先ほどの「積樽」です。樽までライトアップするという力の入れようです。
今では刻の彼方に消えた日本橋開橋の風景の数々でございました。
それでは、今宵はこれにて閉幕とさせていただきます。
樋口純一(日本橋 弁松総本店 八代目) |