<白木屋傳兵衛>中村梅吉さんの「いい話」【第13回:歳時記:4月】
子どもの頃、花見に連れて行ってもらった覚えはない。桜といえば落語の枕に使われる狂歌「やい桜 咲きゃあがったか畜生め、うぬのお陰で今日も日暮し」(蜀山人)なんてのもあるが、やはり特権階級の意識だろう。花見とか遠足とかは、暮らしが豊かで余裕がなければできないのだ。
戦時中は靖国神社へお参り(それが口実でも)に行って、境内に咲いている桜を見ることもあった。
「万朶(ばんだ)の桜か襟の色……散兵戦の花と散れ」
軍歌が今でも歌えるのが悔しい。桜には戦時の哀しい思い出がある。
私が花見に眼を向けたのは30年前頃、桜を見たいが歩けない母を車に乗せて皇居外苑、千鳥が淵を廻ったのが最初。旅行をするようになり、それに仕事で地方巡業をするようになって、3月の沖縄のサクラから5月の札幌の桜まで大抵の花の名所は見て廻った。
今、東京で宴会抜きの桜を問われれば、まず上野の東京国立博物館(東博)本館前のしだれ。東博の東50mにある両大師の境内。浅草なら、待乳山聖天様の裏手の公園に1本、素晴らしい桜がある。いつだったか、その桜の下で町会が宴を張っていて、さすが地元と思った。
明冶以前は「花は上野、向島、飛鳥山」と言われた。飛鳥山は吉宗が庶民の花見のために整備させたといわれる公園。向島堤も、堤防を大勢が歩いて踏み固めさせるために吉宗が桜を植えたと聞いたが、本当だろうか。
意外なのは江戸期の吉原の桜。吉原中ノ町の通りに根のついた桜を花の時期だけ植えて、花が終わると引き抜いて持っていってしまうのだそうだ。歌舞伎の舞台「助六」の場面が、まさにそれだ。その期間だけ女子供も入境を許されたとある。
朝顔市で買った朝顔も、咲いて2,3日見たら「うっちゃっちゃう」(捨てる)のが江戸っ子とされている。朝顔市で朝顔を買っても、最後の一輪まで看取って、来年のために種を採るような私は、とても江戸っ子にはなれない。