大旦那のちょっといい話【旦那衆、「歌舞伎座出演」の巻】

昭和20年の戦火で焼けた後、昭和26年1月に復興再開場を果たし、以後、半世紀以上にわたって歌舞伎の殿堂としての歴史を刻んできた「歌舞伎座」が、新築工事のため平成22年4月末をもって休場しました。この歌舞伎座「さよなら公演」の最終4月の演目『助六由縁江戸桜(すけろく ゆかりの えどざくら)』に、榮太樓總本鋪の細田安兵衛、大野屋総本店の福島康雄、山本海苔店の山本泰人の3名が、浄瑠璃「河東節(かとうぶし)」の語り手の1人として出演いたしました。

「歌舞伎十八番」では、江戸で生まれ広まった浄瑠璃「河東節」が語られますが、『助六由縁江戸桜』ではプロではなく、ご贔屓筋の御連中が演奏するのが江戸よりの習い。
芝居は河東節の語りで始まり、また主人公である“江戸随一のいい男”助六も、河東節の調べに乗って花道に登場します。

1005-8旦那衆が河東節を唄う場所は、舞台いっぱいに広がる吉原の三浦屋の御簾(みす)の内側。
『助六由縁江戸桜』は、最初に口上を出し(今回は市川海老蔵が務めた)河東節御連中に「なにとぞお始めくださりましょう」という言葉で始まる。

 

三味線と語り、合わせて50人ほどの「河東節十寸見(ますみ)会」の面々が居並ぶのは、舞台いっぱいに広がる吉原の遊郭・三浦屋の格子の内側。まさしくバックグラウンド・ミュージックで、客席側からの判別はなかなか難しいのですが、あちら側からは絢爛豪華な衣装を身に着けた「揚巻」も、下駄の音も高らかに見得をきる「助六」も、もちろん客席もよく見えるのだそうです。

今公演のキャストは、助六が「團十郎」、揚巻が「玉三郎」、髭の意休が「左團次」、そのほか菊五郎、勘三郎、三津五郎、福助……さらに芝居が始まる前の口上は今春、スピード結婚で世間をあっと言わせた「海老蔵」と、これ以上はない華やかなメンバーが揃い踏み。
開演が迫るなか、楽屋控え室に3名をお訪ねしました。
みよちゃん まもなく開演。今、どのようなお気持ちですか?
(福島) 先ほど海老蔵さんや團十郎さんがご挨拶に見えましたが、独特の緊張感があって……これが何ともいいですね。
(山本) やはり、市川家の芸をバックアップするというか、江戸から続く長い歴史の一端に自分がいるということが晴れがましくて、嬉しい感じがします。
(福島) 歌舞伎座のさよなら公演の、最終月の最後の演目。最終日にも出るんで、まさに最終の最後に立ち会うことになる。これが醍醐味だな。
みよちゃん 河東節の魅力、あるいは難しさを教えていただけますか?
(山本) 母音をはっきり言うところや、切りがいいところが他の浄瑠璃とは違って、江戸風というか、さっぱりしていなせなところなんでしょう。面白いし、難しいけれど、どこが難しいかと言われると……。
(細田) それがわかれば、本職だ。難しさがわからねぇから、素人がやってんだ(笑)。
(山本) 僕は、父が河東節をやっていたので自分も始めて、今回は海老蔵さんの襲名公演に続いて2回目の出演です。だから、先輩諸氏の声を聞きながら……(笑)。
みよちゃん 代々、ご贔屓筋を継いでおられるのですね。こうしたことも老舗の主人のたしなみといいますか、一つの仕事なんでしょうね。
(福島) うちは、息子も河東節をやってますよ。親が言うのもなんだが、なかなか上手い。でも、まだまだ私ががんばるんで、息子にはそう簡単には渡さないよ(笑)。
(細田) 河東節十寸見会の会員は少なくないが、江戸時代から続いているような老舗の旦那衆は減ってきている。しかし、助六の紫色の鉢巻と下駄を江戸時代からずっと魚河岸が贈ってきているように、歌舞伎と魚河岸の関係は特別だ。
そして日本橋は、江戸時代に魚河岸があったところなんだ。そんじょそこらの応援団とは格が違うという自負がある。そういった意味でも、江戸からの流れを引いた旦那衆が、「ご贔屓筋」というか、こういう文化を受け継いでいってほしいと思っている。
みよちゃん そろそろ舞台に上がる前の「声出し」が始まりますね。一世一代の美声で、がんばってください。私も客席から声援を送りながら、舞台を楽しみます。ありがとうございました。

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出番の前に声だしをする。
先生の指導が入りおさらいも。

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声だしのあとに、各人に「おゆるし文」が渡される。

聞き手:太田美代

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