【言問団子
◆幻の灯籠流し◆
隅田川の夏の風物詩といえば花火大会。でも、かつては灯籠流しも行われていたのをご存知ですか?その音頭取りとなったのが、当店の初代でした。
初代は、もともと植木・造園を生業としておりましたが、江戸末期から墨堤で団子をふるまうようになりました。おかげさまで大層評判がよく、店は繁盛したのですが、真夏はさすがに河畔を散策する人も少なくなります。思案していたところ、”花咲爺“なる友人の風流人が「江戸の昔、牛島・弘福寺にあった盆供養行事の水灯会を復活させ、ついては灯籠を都鳥の形にしてはどうか」と知恵を授けてくださったそうです。水灯会とは、墨水に散った数多くの霊をとむらう伝統の行事でありました。
土地の人々の応援も得て、第1回の「墨水流燈會」が実現したのは明治12年。7月7日からの30日間、隅田川には都鳥形の灯籠が数千個もたゆたうこととなったのです。
当時の新聞によりますと、川堤は人であふれ、船を出す客のなかには中国の雅楽を演奏する人あり、三味線をひく人ありと、花見時をしのぐほどのにぎわいだったとか。
流燈會は7年続き、初代の死とともに一端終わりを告げます。私財を投じて風流を愛した江戸っ子の男気に改めて感じ入る今日この頃です。
初代は、もともと植木・造園を生業としておりましたが、江戸末期から墨堤で団子をふるまうようになりました。おかげさまで大層評判がよく、店は繁盛したのですが、真夏はさすがに河畔を散策する人も少なくなります。思案していたところ、”花咲爺“なる友人の風流人が「江戸の昔、牛島・弘福寺にあった盆供養行事の水灯会を復活させ、ついては灯籠を都鳥の形にしてはどうか」と知恵を授けてくださったそうです。水灯会とは、墨水に散った数多くの霊をとむらう伝統の行事でありました。
土地の人々の応援も得て、第1回の「墨水流燈會」が実現したのは明治12年。7月7日からの30日間、隅田川には都鳥形の灯籠が数千個もたゆたうこととなったのです。
当時の新聞によりますと、川堤は人であふれ、船を出す客のなかには中国の雅楽を演奏する人あり、三味線をひく人ありと、花見時をしのぐほどのにぎわいだったとか。
流燈會は7年続き、初代の死とともに一端終わりを告げます。私財を投じて風流を愛した江戸っ子の男気に改めて感じ入る今日この頃です。
だんご
言問団子
●墨田区向島5-5-22
(地下鉄浅草駅から徒歩15分)
●03(3622)0081
言問団子
●墨田区向島5-5-22
(地下鉄浅草駅から徒歩15分)
●03(3622)0081
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