江戸の歳時記|1月 初詣
・元旦、江戸っ子がお参りした先は?
江戸時代、江戸っ子たちが元旦にこぞってでかけたのは、吉方(えほう)参りでした。
吉方は恵方とも書き、その年の縁起がよいとされる方角のことで、干支(えと)によって毎年変わります。元旦の早朝、吉方にあたる神社に参詣して幸福を祈り、開運札や御守などをいただく――この吉方参りの風習が、現在の初詣に続いているのです。
では江戸っ子は吉方以外の神社には行かなかったのかというと、そうではありません。
ただし、これはその年の最初の縁日に寺社参りをするのが一般的でした。
たとえば、初子(はつね…初めての子の日)の大黒、初寅の毘沙門、初巳(み)の弁天、初午(うま)の稲荷、初申(さる)の山王、庚申(こうしん)の帝釈天……といった具合です。
江戸の年中行事は、その根底に厄除けの意味があることが多いのですが、元旦の吉方参り、そのあと次々に行われる寺社の縁日への初詣、さらには6日の年越し、7日の七草……と、年の始めは厄払い行事でいっぱい。
現在も1月24・25の両日行われている亀戸天神社の「鷽替(うそかえ)神事」なども、厄除け行事の一つの形といえるでしょう。
吉方は恵方とも書き、その年の縁起がよいとされる方角のことで、干支(えと)によって毎年変わります。元旦の早朝、吉方にあたる神社に参詣して幸福を祈り、開運札や御守などをいただく――この吉方参りの風習が、現在の初詣に続いているのです。
では江戸っ子は吉方以外の神社には行かなかったのかというと、そうではありません。
ただし、これはその年の最初の縁日に寺社参りをするのが一般的でした。
たとえば、初子(はつね…初めての子の日)の大黒、初寅の毘沙門、初巳(み)の弁天、初午(うま)の稲荷、初申(さる)の山王、庚申(こうしん)の帝釈天……といった具合です。
江戸の年中行事は、その根底に厄除けの意味があることが多いのですが、元旦の吉方参り、そのあと次々に行われる寺社の縁日への初詣、さらには6日の年越し、7日の七草……と、年の始めは厄払い行事でいっぱい。
現在も1月24・25の両日行われている亀戸天神社の「鷽替(うそかえ)神事」なども、厄除け行事の一つの形といえるでしょう。
・東京十社
江戸っ子が元旦に出かけたのは「恵方」の神社、という話は先にしましたが、たとえばその年の縁起のよい方角が巽(たつみ)だとしても、その方角にはいろいろな神社があります。さて、どこへ行ったものやら。
やはり、人気のある神社というのは、江戸時代にもありました。その一つの手がかりになるのが、明治元年に明治天皇が准勅祭神社として定めた以下の10の神社です。初詣のご参考になれば……。
やはり、人気のある神社というのは、江戸時代にもありました。その一つの手がかりになるのが、明治元年に明治天皇が准勅祭神社として定めた以下の10の神社です。初詣のご参考になれば……。
●神田明神(千代田区・外神田)
●芝大神宮(港区・芝大門)
●根津神社(文京区・根津)
●品川神社(品川区・北品川)
●亀戸天神(江東区・亀戸)
●日枝神社(千代田区・永田町)
●氷川神社(港区・赤坂)
●白山神社((文京区・白山)
●王子神社(北区・王子)
●富岡八幡宮(江東区・富岡)
・初日の出は、闇夜の中から上ってくる
現在では、お正月は冬の真っ最中。1年で最も寒い季節ですが、旧暦のお正月は、現在の暦でいえば1月下旬から2月上旬。したがって、日が長くなってきたのを実感できる、寒さのなかにも春の気配が感じられる時期でした。
清少納言の『枕草子』の第三段には「正月一日は、まいて空の気色うらうらとめづらしう霞みこめたるに……」と、お正月には日差しが明るくなり、空気がやわらいでいる情景がとらえられています。
旧暦の話が出たところで、もう一つお正月に関連した旧暦のお話しをしておきましょう。旧暦では、毎月の終わりは月が隠れるつごもりで、月の初めは必ず新月でした。したがって大晦日の夜も、闇夜。初日の出は、月明かりのない真っ暗な夜が明け、地平線から上ってくる新しい年を迎えるにふさわしい太陽だったのです。単に、その年の最初の日の出というだけではない実感があったのですね。
吉方参りに続いて、初日の出を拝む風習は、大正の初め頃まで盛んに行われていたそうです。
清少納言の『枕草子』の第三段には「正月一日は、まいて空の気色うらうらとめづらしう霞みこめたるに……」と、お正月には日差しが明るくなり、空気がやわらいでいる情景がとらえられています。
旧暦の話が出たところで、もう一つお正月に関連した旧暦のお話しをしておきましょう。旧暦では、毎月の終わりは月が隠れるつごもりで、月の初めは必ず新月でした。したがって大晦日の夜も、闇夜。初日の出は、月明かりのない真っ暗な夜が明け、地平線から上ってくる新しい年を迎えるにふさわしい太陽だったのです。単に、その年の最初の日の出というだけではない実感があったのですね。
吉方参りに続いて、初日の出を拝む風習は、大正の初め頃まで盛んに行われていたそうです。
・七福神めぐり
七福神信仰は、室町時代に成立したと考えられています。七福神とは、恵比寿・大黒・布袋・弁天・毘沙門・福禄寿・寿老人の7人の神様で、布袋様だけが、中国の唐の時代に実在した僧。それをうまく利用したのが、江戸時代初期に活躍した天海僧正でした。
天海僧正は、家康の相談役に起用された折、人心を鎮める策の一つとして七福神信仰をすすめました。7つの社寺をまわると、7つの福を授かり、7つの災難から逃れられる――良いこと尽くしの評判がたって、やがて七福めぐりは、全国に波及しました。
最も古い七福神めぐりは谷中・日暮里の七福神といわれ、江戸風俗総まくりには「天王寺の毘沙門天、護国院の大黒天、池之端の弁財天、笠森脇の寿老人、田畑の恵比寿、西行庵の福禄寿、日暮里の布袋」という記述があります。ただ、恵比寿様を神田明神に代えるなど、いろいろな組み合わせがあったようです。
現在では、谷中のほか日本橋や浅草、亀戸、下谷などにも七福神が設定され、お正月は初詣客が賑やかに7つの社寺をまわっています。
天海僧正は、家康の相談役に起用された折、人心を鎮める策の一つとして七福神信仰をすすめました。7つの社寺をまわると、7つの福を授かり、7つの災難から逃れられる――良いこと尽くしの評判がたって、やがて七福めぐりは、全国に波及しました。
最も古い七福神めぐりは谷中・日暮里の七福神といわれ、江戸風俗総まくりには「天王寺の毘沙門天、護国院の大黒天、池之端の弁財天、笠森脇の寿老人、田畑の恵比寿、西行庵の福禄寿、日暮里の布袋」という記述があります。ただ、恵比寿様を神田明神に代えるなど、いろいろな組み合わせがあったようです。
現在では、谷中のほか日本橋や浅草、亀戸、下谷などにも七福神が設定され、お正月は初詣客が賑やかに7つの社寺をまわっています。
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