<白木屋傳兵衛>中村梅吉さんの「隠居の独り言」(2)
■大根河岸(だいこん がし)のこと
その昔、銀座と京橋との境には「京橋川」が流れていた。京橋川は昭和34年に埋め立てられて首都高速道路になったが、この川に架かっていたのが「京橋」だ。江戸幕府が重要な交通路として架けた橋で、その印として日本橋、新橋と同じく立派な擬宝珠が飾られていた。
橋の北東河岸には竹商人が多く「竹河岸」と呼ばれ、西河岸は近郊でとれた大根が多く荷揚げされたことから青物市場がたち「大根河岸」と呼ばれていた。この青物市場の発祥は寛文5年(1665)と伝えられており、昭和10年、築地に「東京市中央卸売市場」が開設されるまで約270年間も続いた。
今では「だいこんがし」と呼ぶが、地元民は「でーこがし」(江戸方言)と呼んだと古人から聞いたことがある。明暦の大火(1657)以降、京橋川の水運を活かして表通りから城辺橋(しろべばし)あたり、最盛期には今の銀座の河岸ッ渕まで、川の両側、露天で青物の卸売りをやっていたらしい。市場関連のご商売屋、飲食店が今の築地場外みたいにあった。
京橋北詰に、かつてここに青物市場があったことを伝える「大根河岸の碑」(昭和34年建立)が立っている。
京橋大根河岸青物市場跡碑